大和郡山城北側(通称堀側)を通る県道が、近鉄橿原線の踏切により常に渋滞を繰り返していることから、県道を地下へ通す工事が10年ほど前から続いています。
工事は終盤に差し掛かっており、3月末には開通するのでは・・と感じます。
初めは堀(空堀)へ降りる道路を作る処からでした。
道路も拡張されますので、益々便利になりそうです。
この道路沿いには郡山藩の重職の屋敷が立ち並んでいたのですが、廃藩置県後に士族を秩禄処分と引き換えに退去させ、建物は解体され売り払われました。
この時に城の建物も同様に解体され、一部は寺院に移築されましたが、郡山の市民の中にはこの時の木材で家を建てたという方が大勢いらっしゃいました。
明治25年ころには柳澤の当主が東京から帰ってくる時に住まいする為、元家老の後藤氏の邸宅(今
近鉄の線路のなっている付近にあった広大な屋敷)だけ残り、跡は全て農地になっていました。
今の天理教郡山大教会所になっている場所は、戦後に天理教が柳澤氏より購入されたものです。
少しづつですが、道路整備も進んで来ています。








